ヘルスケアIT セミナー12選:⑦ 厚生労働省による補助金事業 – 健保組合や民間企業がチームを組み、健康課題に挑む

1.大小の保険者がプロジェクトチームを作り、全体を底上げする

今、厚生労働省の保険局保険課がある事業を押し進めています。それは、法人同士の垣根を越え、チームを組んで保健事業に取り組んでもらおうというもの。より具体的に言えば、保険者(協会けんぽ、健康保険組合連合会など)同士はもちろん、民間のヘルスケア事業者が一緒になり、共同で健康課題を解決していくというもので、正式名称は「保健事業の共同実施に関するモデル事業」です。

 どうしてこの共同事業をやろうと思ったのかについて、野崎氏は動機、背景を次のように説明してくれます。

 2017年4月、保険局保険課に配属された野崎氏は、補助金事業の企画を任されます。そして、「いかに補助金を有効活用し、予防・健康づくりを推進していけばいいか」と考え始めるのです。その時、約1400ある健康保険組合のうち、先進的な取り組みをして成果を出しているところと、そうでないところの差が明確にあり、格差が広がっていることに気付きました。

これでは、いくら一部の先進的な保険者がんばっていても、その取り組みが裾野に広がっていかない。保険者全体のレベルアップに繋がっていかないと考えたのです。

 一口に健康保険組合といっても規模は様々。何十万人もの加入者がいるところもありますが、数としては多くなく、むしろ加入者1万人以下のところが全体の約6割を占めています。そんな中小規模の健康保険組合は、大規模の保険者に比べ、スケールメリットでどうしても劣ってしまう。十分なサービスを提供できなかったり、運営が苦しくなってしまうケースも多々見られると言います。

例えば、ビッグデータ解析。レセプトデータなどを活用し、分析しながら保健事業を進めていこうという場合でも、中小規模の保険者は持っているデータが少なく、分析もままならない。例えば、仮に加入者が1000名いたとしても、「40歳以上では」「この数値の高い人は」と絞りこもうとすると、データはぐんと少なくなり、とてもビッグデータの解析とはならないと言うのです。

これは費用面でも如実に現れています。1人当たりの平均保健事業費を見てみると、加入者1万人以上の健康保険組合が2.5万円に対し、加入者1万人以下の健康保険組合では4.3万円もかかってしまっているという実情があります。

 考えてみれば当然のことで、いわゆる数の原理です。大量発注できる健康保険組合はスケールメリットを活かし、安く商品やサービスを購入したり、使ったりできますが、加入者が1万人以下のところだと、業者さんに対してもたくさん注文できないことで価格交渉でも弱くなる。逆にヘルスケア事業者から「そちらの規模ですと、採算がとれないのでウチのサービスは使えません」と断わられてしまうこともあり、サービスも制限されてしまうというわけです。

これでは「国民皆保険制度」をとっている日本でも、国民一人一人にしっかりとした医療や健康に関するサービスを提供していくことができなくなってしまう。そのため、中小規模の保険者のレベルを上げていくことが必要不可欠であると考えたのです。

 そこで野崎氏ら保険局保険課では、大規模な健康保険組合とチームを組むことで、中小規模の健康保険組合の課題を解決し、保険者全体のサービスの質の底上げとなる今回の補助金事業をスタート。規模に関わらず、どの保険者も加入者のための予防・健康づくりをしっかりできる環境を整えるために、この共同事業を押し進めているのです。

2.大規模保険者や民間のヘルスケア事業者への期待

この共同事業で補助金を出すための条件の一つが、チームの4割以上が加入者1万人以下の保険者になること。逆に言うと、大規模保険者も対象になるということです。それは、この事業は加入者1万人以下の小規模保健者のメリットを重視していますが、大規模な保険者にも入ってもらい、リーダーシップをとることを期待しているからです。

というのも、小規模保険者には事業を進めるノウハウがないところが多いから。そこで、同じ地域や同じ業種の大きな保険者が、「みんなでやるとコストが下げられるよ」「ノウハウも共有できるよ」「アイデアも出るよ」と小さい保険者を巻き込み、全体の底上げをしていってもらうことに期待しているのです。

 もう一つの条件が、ヘルスケア事業者をチームの中に必ず入れるということ。これも今の話と繋がってきますが、小規模の保険者には保健師などの専門家がおらず、働く人のほとんどが事務職であったり、人事移動があったりしてノウハウや知識が蓄積されず、アイデアも生まれにくい環境にあります。

とは言っても、すべての保険者に保健師などの専門職を配置することもすぐには難しい。では、どうやって予防・健康づくりを進めていくか。それぞれの分野で独自のノウハウや専門知識、実績を持っている民間のヘルスケア事業者に参画してもらい、健康保険組合と連携していってほしいと考えているからです。

3.データ活用で見える化し、効果的な病気予防を実現

2017年から始まった厚生労働省の保険局保険課によるこの「保健事業の共同実施に関するモデル事業」は、2年目となり、事例も集まり始めています。

 例えば、大同特殊鋼健康保険組合は、脳梗塞や心筋梗塞などの対策に力を入れ、レセプトデータやスマホアプリを活用し、かかりつけ医とも連携しながら重症化予防を実施しています。このチームの優れた点は、効果分析の仕方がとても上手であること。

脳梗塞や心筋梗塞などが発生する可能性は、年齢、コレステロール値、喫煙状況などを一つ一つチェックすることによって、科学的にある程度推測できるそう。このチームでは、5年後、10年後に病気が発生するリスクはどれくらいになるのかといった研究事業にも取り組んでいると言います。

 また、レセプトデータなどを分析することで、病気を発症するリスクの高い層から低い層までを階層化できます。つまり、見える化です。限られた保険財源、予算の中で、すべての加入者に同じ事業を実施するのは非効率。ハイリスクの人たちが病気を発症しないように、リスクを下げていくことが有効になると言うのです。

それには、レセプトデータを使い、リスク判定やリスクの高低と医療費の増減の関連性をグラフにしたり、予防・健康づくりのための取り組みをしたならば、その効果分析をしっかりおこない、次に繋がるようにしていくことが大切だということです。そのためにも、いろいろな健康保険組合、ヘルスケア事業者が一緒に事業に取り組めば、豊富なデータを取ることができ、しっかりとした分析や検証ができるというわけです。

 そして、このことはデータヘルスの目的とも共通すると言います。例えば、特定健診・特定保健指導が始まって約10年になりますが、当初の目的は「メタボ予防をやりましょう」ということでした。ですが、実施していくうちに、女性が多い職場などだと、メタボというよりむしろ痩せ過ぎなどの問題があることに気がついたり、改善すべきことは個々に違うということがわかってきました。

つまり、「やるべきことはメタボ対策というより、むしろ女性特有のがんなどの対策なのではないか」といったことも見えてくる。最初のメタボ予防からさらに踏み込み、効率的、効果的に予防・健康づくりをするためにも、データの分析が必要になってくるというわけです。

4.共同事業にはデメリット以上のメリットがある

共同でこういった保健事業を展開すると、デメリットも出てきます。違った健康保険組合がチームを組むと、コミュニケーションも複雑になりますし、意志決定のプロセスも増えてきます。会議をしたり、意志や意見を取りまとめることにかかる間接コストが増えてしまうのです。ですが、チームを組まないと解決できないことに取り組めることは、それ以上のメリットを期待できると言います。 

例えば、保険者は、全ての加入者に平等に予防・健康づくりをすべきですが、どうしても本社中心のエリアでおこなわれがちです。セミナーをやったり、ウォーキングのイベントなども本社の近くでやることが多くなってしまいます。そうなると、地方の出張所や工場などで働く人たちは物理的に参加しにくくなる。そんなときに保険者同士がチームを組めばどうなるでしょうか。本社が東京にあり、支社が長野にある企業と、逆に本社が長野にあり、東京に支社がある企業が、共同で健康イベントを開くなどといったことができるようになります。

また、神奈川エリアの小さい健康保険組合だけでチームを組んでいるエーエンドエーマテリアル健保では、特定健診・特定保健指導のモデル事業を実施しています。このモデル事業とは、今までの特定健診・特定保健指導では、被保険者に健康診断の受診をすすめる場合でも、「何回電話しましたか」「何回メールしましたか」と電話したら何ポイント、メールしたら何ポイントもらえるという評価制度であってものを、「体重が何キロ落ちた」「腹囲が何センチ小さくなったか」という結果主義へと変えるものです。ただし、「保健師さんが必ず初回面談をしてくだいね」というルールは残しています。

 そうなると、保健指導を受ける場合も、加入者が数名といった小さい健康保険組合だとなかなか保健師を派遣してくれず、特定健診・特定保健指導が進まないとケースも出てくるという問題も残ります。ならば、同じ悩みを抱える小さな組合がチームを組んで、保健師の初回面談を一緒に受けるようにしたのです。

 また、このチームは、「みんなでちょこ痩せ・ハッピーキャンペーン」というものを実施。これは、7~8割いる無関心層に、健康に関心を持ってもらうためにはどうしたらいいだろうかということでスタートしたもの。

 「体重計に乗ったら」「配信された健康コラムを読んだら」「クイズを解いたら」何ポイントというふうに、ハードルの低いことから始め、「体重計に乗ってみようかな」「体重増えているからダイエットしようかな」というきっかけ作りになる取り組みを積極的におこなっていきました。そのことで、無関心層を関心層に変え、体重・BMI、食習慣などで改善が見られたと言います。これらのアイデア溢れる事業を展開し、このチームは2年連続で補助を受けることができています。

5.共同で実施する保健事業のこれから

この「保健事業の共同実施に関するモデル事業」は3年目を迎えます。 「日々のルーティンワークで一杯一杯。新しい取り組みまでは気が回らない。余裕がない」といった状況だった保険者からも、「チームでやることで、被保険者の少ない地域でもプログラムを提供できるようになった」という声が届いています。

 過去2年のものをブラッシュアップし、さらに踏み込んだ取り組みをしていきたいと野崎氏は語ります。例えば、業種・業態ごとに健康リスクは違ってきますので、一様に同じプログラムをやればよいわけではありません。喫煙という健康課題を例にとれば、煙草を吸う人が多い業界として運送業と医療があることがわかっています。つまり、トラックの運転手さんや医師に喫煙する人が多いというわけです。

ですが、トラックの運転手さんと医師に、同じプログラムをやれば効果が出るかと言えばそうではない。医師の場合は、喫煙が身体に及ぼす悪影響はもちろん知っているので、そういう人たちに改めて煙草のリスクについて説明するのは意味がありません。リスクを知っているのに煙草を止められないのはなぜか。それは、日々命にかかわる緊張感のある仕事をしているからかもしれません。それならば、そういう同じ悩みを抱えている人に対してカウンセリングをおこなうのがいいのかもしれない。

 一方、運転手さんが煙草を止められない原因は、長時間一人で仕事をするので、眠気覚ましに使っているのかもしれない。もしそうであれば、煙草以外で眠気覚ましや集中力を高められる方法はないかと考え、事業に取り組む手もある。そういった要因をしっかり見極め、個々に合ったプログラムを練り、実施していくことが大事であると野崎氏は言います。

また、業界を越えて共通の課題に取り組むことも意義のあること。例えば、営業職に着目し、予防・健康づくりに取り組んでいるところもあります。営業職は外回りが多く、顧客とのアポイントもあるので食事の時間も不規則になりがち。特に地方での営業職になると、車での移動が多く、歩くことが少なくなります。このように営業職という括りだけでも、共通の健康課題が見えてきます。

 こういうことも、一つの健康保険組合では思いつかないかもしれない。でも、複数の保険者や様々なサービスを提供するヘルスケア事業者が集まると知恵や意見が出てくる。ノウハウも蓄積され、それがより良い予防・健康づくりに繋がっていくことが、この共同事業の大きな目的の一つだと言います。

この共同事業が今後成功するかどうかは、「ウチとあそこの健康保険組合は同じ課題を持っている。ならば、一緒に協力して課題を解決していこう」といった目的意識をしっかり持つことが重要になります。「あそこの組合には知り合いがいるので、一緒にやってみようか」といったことでは、あまり効果は期待できません。なぜ一緒におこなう必要があるのかという理由を明確にし、お互いにコンセンサスをとりながら進めていくことが大切であると野崎氏は言います。

 この「保健事業の共同実施に関するモデル事業」は来年も実施されます。
補助金を受けるための公募は、毎年5月か6月あたりにおこなわれるそうです。「趣旨に賛同し、共同事業に取り組んでみたいという保険者はもちろん、ヘルスケア事業者のみなさんからも、こんなことやってみませんかと保険者に提案してほしい。ぜひ、ぜひ前向きに考えてください」という野崎氏の言葉でセミナーは終了となりました。

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