【日本マーケティング学会 研究報告会】地域とともに歩む健康経営の未来図
日本マーケティング学会の研究報告会が2024年3月にオンラインにて開催されました。神奈川大学経営学部の中見先生の司会進行のもと、第1部はIKIGAI WORKSの熊倉による「IKIGAI WORKSが考える健康経営・ワークエンゲーメント」の発表、第2部は「シリーズ:健康×マーケティング ピッチコンペティション2023」に参加した中見ゼミの学生による活動報告、第3部はパネルディスカッションが行われました。本記事では、この順番で研究報告会の内容を紹介していきます。
阿久津聡(一橋大学 経営管理研究科教授)
浅野健一郎(社会的健康戦略研究所 代表理事)
中見真也(神奈川大学 経営学部 准教授)
金子昴太(神奈川大学 経営学部 中見ゼミ長)
熊倉利和(健康経営の広場 編集長/IKIGAI WORKS代表取締役)
目次
1.「IKIGAI WORKSが考える健康経営・ワークエンゲーメント」(熊倉利和)
私は以前、ある会社を経営していました。その一環として、メディアサイト『健康経営の広場』を運営し、中小企業の健康経営を紹介していました。当時の私は、合理的に物事を進めたがる経営者で、人に寄り添う経営はできていませんでした。しかし、企業インタビューを通し、社員と真正面から向き合い、愛情深く接する経営者が全国に大勢いる、と気づくことができました。
その経験をもとに2021年、IKIGAI WORKSを設立し、現在は、IKIGAI経営の普及・啓発、イベントの開催、産学連携プロジェクトなどに積極的に取り組んでいます。
では、私たちが定義するIKIGAIとは何か。それは「働く人が幸せになり、組織を成長させ、社会を豊かにするための源泉」です。バリバリ働いて成長したいという人も、プライベートを大切にしたい人も、みんなが幸せになれる企業というのが、私たちが定義するIKIGAI企業です。
多くのIKIGAI企業にインタビューを行う中で、私たちは重大なことに気づきました。中小企業の場合、地域や次世代と連携を密に取ることが、従業員のIKIGAIに大きく関与している、ということです。
1つの地域には複数の中小企業が存在します。地域の人たちや次世代の子どもたちと連携を深めていく企業を1社、また1社と増やしていければ、やがてIKIGAI企業は加速度的に増え、IKIGAI企業があふれるすばらしい社会を築ける。これがIKIGAI WORKSがベンチャーとして実現させたいことです。
そこで私たちは、「Fanマーケティング」という活動の方法を考案しました。Fanマーケティングとは、健康経営を武器に地域連携を行い、地域の人たちをFanにしていくことで従業員のエンゲージメントを高め、経営にも効果的な作用をもたらしていくこと。
Fanマーケティングでは、大勢の人が集まるイベントを積極的につくったり、人が集う場所に参加したりしていきます。たとえば、ウォーキング大会や地域のお祭り、健康教室、地域の清掃活動など。人が集まる場所を「HUB(ハブ)」として、地域とどんどんつながっていく。すると、まるで「触媒」という化学反応のように、他の中小企業もイベントに参加し、それをきっかけに、参加企業がIKIGAI企業へ発展してきます。同時に、地域における企業のブランディングを確立できます。
では実際に、IKIGAI企業はどのように地域連携を行っているのか。3つの事例を紹介します。
(1)加賀建設株式会社
石川県金沢市に本社を置く建設会社。カフェやお茶の物販などの事業も展開。その新規事業を地域活動につなげています。
具体的には、ウェルビーイング経営金沢というコミュニティを立ち上げ、金沢の企業50社ほどを集めてウォーキングイベントなどを開催。地域企業とともに健康経営や地域活性化の事業に取り組んでいます。
建設会社という事業柄、もともと地域に密着した会社でした。そのうえで、地域のお祭りやイベント、清掃活動に参加していくなど、人が集まる場所に社員が出ていき、地域とつながっていった。それによって地域と社員の間で相互作用が起こって輪が広がり、今度は周りの企業をどんどん巻き込んでいっています。
また、カフェを地域の子どもたちに開放。親の所得の違いによる教育格差をなくすため、地域の子どもたちの学びの場になるスペースづくりも行っています。
こうした活動によって、加賀建設に対する地域の信頼や評価は高まり、地域の人や子ども、そして企業をFanにしていっています。そのつながりはウェルビーイング経営金沢やお祭り、ボランティア活動などのHUBを中心に広がっているという事例です。
(2)大橋運輸株式会社
愛知県瀬戸市に本社を置く運送会社。法人輸送の他、個人の引っ越し、生前・遺品整理など行っている会社です。
大橋運輸は、健康経営優良法人認定が始まる以前から、長年にわたって健康経営に取り組んできました。その社内で行っていた健康経営を、社会福祉協議会と連携して、地域の人たちにも広げています。具体的にはヨガや太極拳、バランスボールなどの他、食育にも力を入れています。
また、警察の生活安全課と連携し、警察主催のイベントやセミナーにも参加。小学校に出向いて交通安全指導も実施し、次世代とのつながりも積極的に築いています。
こうした地域貢献は地方ラジオやテレビでどんどん紹介されるようになりました。
それによってさらに地域の人や子どもたちに周知され、共感され、応援されるという輪が広がっています。すると、社内でどんなことが起こったのか。地域の人たちとともにあるという意識から社員の背筋がピッと伸びていくとともに、社員の意識やレベルもどんどん高まっていきました。
健康教室や小学生への交通安全指導などのHUBを中心に、地域の人や子どもたちに加え、警察や行政、メディアまでもFanにしていっている事例です。
(3)株式会社ファイブグループ
東京都武蔵野市に本社を置く飲食事業(居酒屋など)を行う会社。この会社は、アルバイトも含めると従業員が2000名。「かかわるすべての人が楽しくなれる」という価値観のもと、飲食店を「生きていくのに欠かせない〝食〞を通じて、人と人がつながる地域の場」と位置づけています。
この会社で注目したいのは、マーケティングの力をふんだんに活用している点。たとえば、アルバイトを含めた従業員や家族を1000人以上集めて、フェスなどを開催。社内行事をイベントにして、おおいに盛り上げています。そこに、お客さん、もしくは、社員にしたい学生をどんどん招き、意図的に企業ブランディングや採用を行っています。また、子ども食堂なども開き、地域や次世代にもFanを増やしています。
こうした活動は社内報に掲載。ブランディング、採用、エンゲージメントUPなどの取り組みを戦略的に記事にしている広報誌は、『社内報アワード』に輝くなど高い評価を得ています。
ポイントは、社内報を単なる広報に留めていないということ。具体的には、アルバイトに取材するときには、社員になってほしい人財を選んだり、従業員のモチベーションアップにつなげたり、戦略的に記事を作成し、取材を受けたアルバイトはSNSで発信。そうして、採用や店舗PRなどを効果的に行っています。
つまり、ファイブグループの場合、HUBはお店、社内フェス、子ども食堂など。ここを拠点に地域の人たち、お客さん、そしてともに働くアルバイトや社員みんなをFanにしていっているのです。
Fanマーケティングでは、次世代との連携も重要です。そこで私たちは、社会的健康戦略研究所主催の「シリーズ:健康×マーケティング ピッチコンペティション」に参加したり、IKIGAI企業へ学生と一緒にインタビューを行ったりして、産学連携プロジェクトを積極的に行っています。学生たちは、IKIGAI企業と接することで、自分のIKIGAIを社会でどう実現していきたいのかと、ワクワクした気持ちで探究を始めます。こうした学びは、就職活動や社会に出たあと、必ず役立ちます。また、学生たちがアンバサダーとなって情報発信をする機会をつくることで、IKIGAI企業をフレッシュでパワフルな視点で広く世の中に知らせていってくれるのです。
2.「シリーズ:健康×マーケティング ピッチコンペティション2023」中見ゼミ活動報告(金山昴太さん)
神奈川大学経営学部の中見ゼミの5名の学生は、「シリーズ:健康×マーケティング ピッチコンペティション2023」でIKIGAI WORKS部門にエントリーしました。課題は、「学生によるIKIGAI企業の採用ブランディング戦略」。「いきなりそんなことを言われても」と不安からのスタートでしたが、IKIGAI WORKSの方々が順を追って1つ1つ伴走してくれたので、やりきることができました。
まず行ったのは、「マイモノサシ」づくりです。それぞれが、過去の経験や自分の性格、目標などから、どんなことをIKIGAIにするかと探究。その探し出したIKIGAIから「マイモノサシ」をつくました。とくにチームメイトからのフィードバックは、自己理解を深めることに役立ちました。
次に、それぞれのマイモノサシを使って、IKIGAI企業の定義を行いました。チームディスカッションを何度も行って、「働きやすさとは」「働きやすい環境とは」「働きがいとは」と語り合いました。これによって、働きやすさや働きがいは、人によって幅があることを理解できました。
そのうえで、実際にIKIGAI企業にインタビューを行いました。私たちがお話をうかがったのは、株式会社アップコンの松藤展和社長です。
社長の話でとくに印象に残ったのは、「社員の方々は、入社10年で資格を10個以上取ることが目標」「お互いに高め合うことが、仕事の成果の向上にもつながっている」「社員を誰も差別をしない。正直者は報われる」などを、社員の方々の共通認識としていることです。
しかも、残業は基本的にしない。社長も8時間働いたら、あとはプライベートの時間を大切にするという徹底ぶりです。結果、仕事に集中できるようになり、社内に好循環が生まれるそうです。
このインタビューを通して私たちが考案したブランディング戦略は、「学生によるIKIGAI企業のPRイベントの企画立案」です
私たちは、ピッチコンペに参加したことで、IKIGAI企業のすばらしさを知ることができました。しかし、一般の学生はその機会がありません。そこで、IKIGAI企業と出あえる機会をつくり、理想の仕事スタイルが叶う企業選びの手助けを、学生目線からしたい。そんな思いから立案したPR戦略は2つです。
1つ目はIKIGAI企業の社長に大学で講演会を行ってもらい、生の声を届ける。2つ目は、IKIGAI企業の社長に学生がインタビューしている動画を就活サイトに投稿する。この2つを行うことで、リアルとインターネットの双方から、IKIGAI企業のことを広く伝え、また、学生自身がIKIGAI企業を探すサポートをしていきます。
以上が、ピッチコンペにおける中見ゼミの発表になります。
3.健康経営と地域連携の未来を考える(パネルディスカッション)
中見さん:それでは、パネルディスカッションを始めます。パネリストにお迎えしているのが、一橋大学の阿久津先生と社会的健康戦略研究所の浅野代表です。どうぞよろしくお願いします。早速ですが、阿久津先生、発表の感想をお願いできますか。
阿久津さん:はい。まず、熊倉さんの話を聞いて感じたのが、地に足がついた活動をされているすばらしさです。健康経営や地域連携など、抽象的な話で終わりやすいところを、日々の問題として議論し、計画し、実行されている。ここがすごいと感じました。
だからこそ、金山くんたち、学生とのコラボレーションも、抽象的な内容に終始せず、現実的な活動に落とし込めた。ただし、それは簡単なことではなく、密にサポートし、ともに考え、進んできた結果だと思います。そのことがよく伝わってきました。
熊倉:光栄です。最初から「これをやっていこう」と目標がわかっていたわけではなく、中小企業の社長さんたちに多くのことを教わり、試行錯誤ながら1歩1歩前進して、今の形にようやくたどり着いたところでしたので、阿久津先生に、地に足がついていると言っていただけて、めちゃくちゃ嬉しいです。
中見さん:浅野さんはいかがでしょうか。
浅野さん:熊倉さんは、会社を経営していた経験があり、経営者の目線から社会を変えていきたいと思っていることが伝わってきました。私もすごく共感するところです。「人を使う」という言い方がありますが、人は物じゃない。これが健康経営の根底にある原則です。
ところが、仕事となると「俺はお金を払ってやっているんだ」というヒエラルキー的な感覚が出てきてしまう。すると、その原則がかき消されてしまいます。
健康経営においても、「健康」というイメージから全体を分析する人が多いなか、熊倉さんは、健康経営の根底にある原則、つまり「人を大切にする」という思いから健康経営を考え、事例を選び出している。ここが非常に素晴らしいと感じました。
また、金山くんの話も素晴らしかった。働くとは、労働契約を結ぶこと。それは、対等な立場に立つということです。今回のピッチコンペのテーマには、IKIGAIやワークエンゲージメントという言葉がありましたが、働いていない段階では、なかなかピントこない話だったでしょう。それを、学生たちはマイモノサシなどを使って見える化し、チームの一体感を築いていった。それは会社で働く中でも、重要なことです。会社という1つのチームにどうやって一体感を出していくのか、といったときに、達成したときの喜びや利他的な行動、そして働きがいややりがいなどが大事になってくるわけです。
中見さん:では、学生代表として金山くんは、ここまでのお話を聞いて、今、何を感じていますか。
金山さん:まず、こんなに貴重な場に呼んでいただいたことが光栄です。熊倉さんの発表では、中小企業の方が地域貢献を行っていることを初めて知りました。地域との相互作用によって社員さんのIKIGAIが増大していく、ということが興味深かったです。
私は今、中見ゼミでゼミ長をしています。今回、みなさまとお話できた経験は、自分だけにとどめることなく、ゼミ全体を底上げする機会にしていきます。ありがとうございました。
中見さん:地域貢献については、私からも熊倉さんに1点お聞きしたいことがあります。IKIGAI企業では、地域にコミュニティを形成してファンをつくり、それが企業ブランディングの構築に役立つとの話でしたが、どのように社員を啓蒙しながら、外の世界に連れ出していくのですか。
熊倉:どこの会社も、まずは社員に健康経営を行って、働きやすさや働きがいを構築しています。最初から、社員を地域に連れ出しているわけではありません。5年ほど社内で熱心に取り組み、社員たちのIKIGAIが熟成されてきたところで、だんだんと外に出ていく形です。
また、地域連携のやり方は1つではありません。十人十色で、企業によってまるで違っています。だからこそ、1社だけでやるのではなく、多くの会社がともに地域と連携していくと、社会において建設的な活動になり、「社会的健康戦略」が実現されていくのだろうと感じています。
浅野さん:その通りです。社会のとらえ方は、切り取り方で違ってきます。家庭も社会だし、国も社会。そして、地域や会社も社会です。どこで切り取ってもよいが、人と人がつながりを保ちながら、IKIGAIを感じられることが、社会的健康です。
社会のウェルビーイングを高めながら、全体のメリットを大事にする。ここをいかに両立させるかに、大きなチャレンジがあります。
中見さん:ありがとうございました。では最後に、阿久津先生からコメントをいただいて、今日の研究報告会を終わりましょう。
阿久津さん:今の浅野さんのお話にもありましたが、IKIGAIという部分から、最終的にはいかに企業の持続的な成長と発展につなげていくかが、経営上は重要になります。今日、熊倉さんから教えていただいたことも含めて、ていねいにモデル化できるよう、今後も研究を行っていきたいと考えています。私もたくさん勉強させていただきました。ありがとうございました。
【取材後記】
2024年3月に開催された日本マーケティング学会の研究報告会。IKIGAI WORKSの熊倉の発表と神奈川大学中見ゼミの金山さんの発表をもとに、専門家の方々と意見交換が行われました。この会を通じて感じたのは、健康経営や地域連携を単なるトレンドとせず、企業の持続可能な成長のための柱にしていくことの重要性です。その意味でも、地域と次世代を巻き込んでいくFanマーケティングの方法は、大きな社会的インパクトを生み出す可能性を強く感じました。
IKIGAI WORKSとして、今後もこの理念を広め、実践していくことに全力をつくしていきます。最後に、このような貴重な機会くださった日本マーケティング学会の皆様、そして参加者の皆様に心から感謝申し上げます。