健康経営のその先へ。人と組織を活性化し、社会の「しあわせ」を創る丸井グループのウェルネス経営
目次
1.働く人を元気にしたいという想い
――今日は、丸井グループの健康経営、ウェルネス経営についてお聞きしたいと思いますが、その前に、産業医としての小島さんのご経歴や想いの部分を教えていただけますか?
小島さん:はい。わかりました。私は丸井グループに来る前、ある製造業の産業医として約10年働いていました。なぜ産業医になったかというと、働く人たちの健康を支えたいという想いがあったから。
ですが、産業医になるとなかなか思うような働き方ができない。例えば、健康状態があまり良くない社員に対して、「このままだと病気になってしまいますよ」とリスクを伝えることはできる。でも、その先の「こうすれば健康になって生き生きと働けますよ」という健康に繋がる行動を促すことはなかなか難しいところがあります。
小島さん:誰もが「健康が一番大事」と言うわりには、健康づくりが企業の本業とは離れ、福利厚生的な位置づけになっている企業が多いと感じます。しかし、それも無理のないこと。そもそも、企業の目的は、事業を通じて利益を出したり、社会貢献をしたりすること。社員を健康にすることがゴールではありませんから。
しかし、私としては働く人を健康にしたいという想いで産業医になったわけですから、悶々とした気持ちを抱えていました。そんな中でも、私と同じような考えを持っている産業医たちと出会い、勉強会を開くなどの活動をしてきました。
その中で、ただ単に今の健康状態を診るだけでなく、医学をベースに人を元気にすることで企業や社会の活性化に貢献できる仕事ができるんじゃないかと、やるべきことが見えてきたとき、ご縁があって2011年、丸井グループに来たということです。
――なるほど。小島さんのそういう熱い想いに丸井さんも期待していたのですね。
小島さん:いえ、最初はあくまでも一産業医としてであり、社員とのメンタルヘルス関連の面談などが主な仕事。人や会社の活性化といった役割は期待されていませんでした。
転機となったのが、丸井グループ専属産業医となって2年目。1年目は、月に30箇所を回り、メンタル不調の方などとの面談や安全衛生委員会に出席するという活動をずっと行ってきました。
安全衛生委員会はその事業所のトップの方が出席しますし、店舗の雰囲気なども自分の目で確認することができる。すると、店長さんの影響などによって各店舗の雰囲気が全く違っていることにも気づく。特に丸井グループは中途ではなく、新卒採用が中心だったので、丸井グループ育ちじゃない人間も自分しかいないということにも気づいたんです。つまり、全事業所を横断的に、客観的に見ているのは私だけだということ。
それで、丸井グループという会社は外からどう見えるか、事業所によってどういう特徴があるかということをまとめて、当時の人事部長にお見せすると、「これはとても面白い」となり、専務にも上げてくれ、専務から「青井さん(青井浩 代表取締役社長 代表執行役員 CEO)と会ってみませんか?」ということになったんです。
私が幸運だったのは、丸井グループは創業から従業員の健康を重視し、早い段階から健保会館も作るなど、ヘルスケアにもともと力を入れてきた企業であったこと。そこに、人と組織の活性化に取り組みたいという情熱を持った青井さんが社長に就任していたことです。
2.攻めの前に守りの健康経営
――丸井さんの健康経営はどのような考え方で行われていますか?
小島さん:今の健康経営は、「健診結果で問題がない」「病気ではない」「メタボではない」「メンタル不調ではない」という守りの活動を指すことがほとんどです。つまり、マイナスがゼロになればいいということ。丸井グループとしては、そこに止まるのではなく、社員が生き生きと元気に働け、企業や社会が活気づく行動をできるようにするというものです。
とはいえ、社員に「健康経営に取り組みます」と言っても、どうしても「健康」という言葉の固定観念が強くあって、「お酒を飲み過ぎない」「油物を取り過ぎない」というような種類の活動だと思われてしまう。そこで、今年から、健康経営の呼び名をウェルネス経営と変えたんです。スタッフの発案で、ウェルビーイングでも良かったんですが、「ウェルネスな食事」などウェルネスの方が語呂がいいんじゃないかと(笑)。
――なるほど。身体やメンタルの悪いところ治し、正常に戻す「守り」と、社員が生き生き元気に働けるようにする「攻め」の健康経営、ウェルネス経営があるということですね。
小島さん:そうですね。丸井グループは伝統的に守りには力を入れています。健保組合もスタッフも充実していて、看護師と保健師が約10名、常勤の医師も3名いて、病気予防、特定健診・特定保健指導も含め、しっかりと取り組んでいます。もともと「守り」がしっかりしていたので、私たち健康推進部は、働きがい、やりがいを伸ばす「攻め」に専念できているんです。
――「守り」が整っていてこそ、「攻め(ウェルネス)」に行けるということですね。
小島さん:おっしゃる通りです。身体とメンタルの健康というベースがあってこそ、どうやって活力を持って仕事に取り組めるかという話になってきます。心身の健康が整っていなければ、自己実現を目指すということにはなりませんから。
――すると働き方改革を始め、社員の心身の健康を維持できる勤務体系などにも気を配っているということですか。
小島さん:そうですね。健康経営を推進すると言いながら、残業が多いというのは矛盾した話です。丸井グループでは、2008年から働き方改革にも取り組んでいて、現在はほぼ残業もありませんし、勤務シフトもライフスタイルや自分の希望を踏まえ、50種類くらいから選べるようになっているんです。
――まずお客様ありきで、セールといった繁忙期もある小売業では働き方改革をいち早く実現したのはすごいことですね。
小島さん:逆にいえば、今で言う働き方改革を早急に進める必要があったということかもしれません。日本の経済成長とともに、丸井グループは何十期も増収増益を続けてきました。ですが、モノを置けば売れるという時代は終わり、赤字転落を経験しているんですね。
その時期にちょうどトップが今の青井社長となり、このままでは会社が生き残れないという危機感の中、企業風土、組織文化を大きく変えていきました。それは、「上から言われたことをやる」「ガムシャラに長時間労働をする」というやり方ではなく、社員一人一人が自ら考え、自ら行動する企業文化への転換です。
その中で、インクルージョン(包摂)の視点に基づいた事業展開など、様々な改革を進めています。去年より今年、今年より来年は進化している。去年と同じことをしているのは退化だと言われる企業風土になっていきました。
3.最高のパフォーマンスを発揮するために
――企業風土を変え、会社を進化させるために研修にも力を入れていますか?
小島さん:はい。ただ、丸井グループには、強制的に全員に同じことをさせるという発想がそもそもないんですね。例えば、会議にしても、その会議になぜ出たいかという理由を作文に書き、審査に合格した人しか出られないというものもあります。
研修も同じで、経営大学院にも行けるなどたくさんの学びのメニューを用意していますが、受けるかどうかは自分自身で決めること。自分がやりたいと思った人が手を挙げて参加します。例えば、トップ層向けのレジリエンスプログラムもその一つです。
レジリエンスとは、「回復力」「復元力」「弾力性」などと訳されるもの。レジリエンスプログラムは、困難な状況に置かれても、しなやかに乗り越えられる力、変化をチャンスと捉えて乗り越えられる力を養っていくもの。2016年から実施しています。
私がこのレジリエンスプログラムを提案した背景には、コーポレートアスリートという考えがあります。これは、アスリートがなぜ食事や睡眠、メンタルを整えることにあれほど気を使うかというと、健康になることが目的ではなく、最高のパフォーマンスを出すため。やりがいを持って働き、仕事で成果を出すために、心身を整えるという点では、ビジネスパーソンも同じですから。
――なるほど。まずは社員自身がやる気になって取り組まないと成長しないし、業績も良くならないということですね。社員ファーストということですか?
小島さん:そうですね。ただ、社員ファーストというとちょっとニュアンスが違うかもしれません。というのも、社員がまず幸せでないと、人や社会を幸せにできないという順番で考えることには、私は少し違和感があります。
例えば、周りの人たちが笑顔になったら自分も幸せになるし、周りが喜んでくれたら自分も嬉しい。だから、社会を幸せにすることによって、自分たちが幸せになるという順番もあるのではないかということです。
4.仕事に没頭できるフロー状態
――小島さんがやりたかった人と組織の活性化ということが続々と実現していますね。特に社員のパフォーマンス向上ということにまで踏み込んでおられるのはスゴイことです。
小島さん:私が取組んできたテーマに「フロー状態」と呼ばれるものがあり、それを研究するために大学院にも通っていました。フロー状態(忘我の境地)とは、人があることをしているときに、極めて高度に集中していて時間も忘れ、没頭しているような状態のことを指します。
初めて青井社長と会った時、「先生は何が仕事のゴールですか?」と聞かれ、フロー状態のことを説明したら、「まさに私も社員みんながフロー状態となり、仕事に没頭できるような会社にしたいと思っているんです」と言われたんです。
それから、みんなにフローの話をしてほしいとなり、人材成長のための研修講師などをするようになりました。それまで、産業医は人事部の下に配置されていたのですが、2014年に独立して健康推進部ができ、私が部長になりました。さらに、2016年からは一般の社員も健康推進部に配属され、全社プロジェクトやレジリエンスプログラムなど様々な取り組みができるようになっています。
――トップの考えだけではダメ、産業医の想いだけでもダメ。二人が両輪となったからこそ、ウェルネス経営がここまで形になっているのですね。今後の課題はありますか?
小島さん:一つは、取り組みの成果の可視化。例えば、何らかのウェルネスの活動に参加しているかどうかを社員に聞いたところ、常時雇用の約6300人のうち4700人が参加と回答。そのうち、参加している人のほうが仕事に対するストレスが低く、ワークエンゲージメント(仕事に対し、ポジティブで充実した心理状態)は高いという分析結果が出ています。
ただ、フロー状態などは、本人の気持ちや気分の状態なのでなかなか可視化できない部分もある。ですが、より納得性や客観性を高くするために、数値化、指標化できないかと取り組んでいるところです。
――資料を拝見しますと、数年前は、睡眠や食事、運動などの生活習慣と業績との相関性の分析に力を入れていましたが。今は幸せと業績の相関性を重視していますね。
小島さん:はい。食事、睡眠、運動などのしっかりとした生活習慣がある人は、人事評価、業績評価が高いという結果はすでにわかっているので、今後は、社員の幸福感と業績の関係などを知りたいということがあります。そして、何より会社としても社員や社会の「幸せ」により重点を置いているということですね。
5.日本の健康経営の課題と未来
――今は健康経営に取り組む企業も増え、健康経営優良法人の申請をする企業数も年々増加していますね。
小島さん:健康経営に取り組む企業が増えたこと自体はとても良いこと。ただ、国が「この部分が満たされると健康経営です」と細かくルールを決めすぎると、各企業が点数を取りに行くということにもなってしまう。
本質的に何を目指すのかというビジョンを失って、ホワイト500や銘柄に認定されるために活動するのでは本末転倒になってしまうし、健康経営がブームで終わってしまう恐れもあります。そうなったらもったいない。ただ、仮に動機が、健康経営優良法人、健康経営銘柄に認定されたいからであっても、多くの企業の社員が生き生きと働き、企業や社会の活性化に繋がるためのきっかけになればそれはそれで良いのかもしれませんが。
それに、「健康」というのは、どんな人にとっても大切なもの。「健康を向上させることに取り組みましょう」と言って反対する人はいない。みんなが集まってきてくれます。ですから「健康」は部署などの壁を超えた場づくりにもなるし、組織改革のツールとしても使えるかも知れません。
健康経営は様々な可能性を含んだものですから、今のブームが今後どうなっていくのか不安でもあり、とても楽しみでもあります。
【インタビュー後記】
「健康経営」と聞くと、どうしても身体とメンタルの健康というイメージになりがち。ですが、健康経営という言葉を見てもわかるように、あくまで「経営」に主体が置かれ、そのための環境や土台が健康というもの。社員の健康が最終目的ではありません。
今回、取材させていただいた丸井グループは、元々社員の健康に大変力を入れてきており、それが土台となり、社員が生き生きと働くことで組織を活性化させ、社会に貢献していくというウェルネス経営を推し進めています。まさに、健康経営と経営戦略がぴったりと重なっており、その理念、制度設計は見事としか言いようがありません。
丸井グループのウェルネス経営で、中心的な役割を果たしているのが、今回インタビューを受けていただいた産業医の小島玲子先生。トップと産業医が二人三脚でいかに企業の改革に取り組んできたかがわかる、とても貴重なお話を伺うことができました。丸井グループのウェルネス経営は、私たちに健康経営の本来の姿、そしてこれからあるべき姿を見せてくれています。
<企業データ>
会社名:株式会社丸井グループ
事業内容:小売事業、フィンテック事業をおこなうグループ会社の経営計画・管理など
本社所在地:東京都中野区中野4丁目3番2号
社員数:5,326名(グループ合計。臨時社員は含まず)