【セミナーレポート】健康経営とは何か―人を資本とする新たな企業経営―

樋口 毅

株式会社ルネサンス 健康経営企画部 部長/スポーツ健康産業団体連合会 健康づくり・セミナー部会委員/NPO法人健康経営研究会 理事/健康経営会議実行委員会 事務局長 

「健康経営に取り組む企業が増え、全国に広がりを見せるとともに深化を遂げています」と話す樋口毅氏。樋口氏は、一貫して働く人の健康に取り組み、健康経営の社会実装に尽力している方です。

1.人という資源を資本化する

樋口氏の言う深化とは、社会構造の変化により、健康経営が、法令遵守や、メタボ、生活習慣病の改善といった従業員の健康管理にとどまらず、人を資本と捉え、企業を成長させ、社会に貢献するためのものに変わってきていることを意味します。この健康経営の深化が求められる背景の一つとして、少子高齢化による、高年齢従業員の健康確保や、採用活動における人財の確保がこれまで以上に重要になっていることが挙げられると言います。

「少子高齢化によって生産年齢人口が減り、労働力の確保がさらに難しくなっており、中小企業では、後継者不足なども問題になっています。今後は、DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進することができる人財の「人不足」と、DXによって、仕事が自動化されることで生まれる「人余り」が同時に起こることが予見されます。」と樋口氏。

つまり、自動化によってなくなるような定型的な仕事をしていた人は余り、逆に、デジタル化を推進したり、これから必要とされるビジネス、例えば、モノからコト、ココロに象徴されるような人の体感・共感を高める仕事ができる人財などは足らなくなる。人手不足と人余りとの2極化が進んでいくと指摘します。

このような新しい時代に入った今、過去の成功体験に捉われずに新しい価値を生み出せる人、イノベーションを起こせる人財が企業にとっても欠かせなくなってきます。

健康経営は、人を大事にすることで優秀な人財を確保するだけでなく、従業員の創造性や労働生産性を高め、Oから1の新たな事業を生み出せる人財を育てるための投資でもあるというわけです。

2.元気も、病気も、職場でつくられる

「会社の中で生まれている健康問題は、職場の労働環境の影響を大きく受けているのではないか?」と、樋口氏は指摘しています。

「睡眠不足、出社が億劫だ、仕事中に疲労感があるといったことも、働き方や労働環境に影響を受けて起こります。また、裁量権がなく、やらされ感の強い仕事をしていたり、周りのサポートがない、仕事のやり方を理解できていないといったことは、働く人の不安、適応障害、抑うつなどを引き起こす要因になります。」と樋口氏は言います。

長時間労働やストレスの多い働き方が様々な病気を引き起こすことはよく知られていますし、入社した時には、健康でとても活き活きとしていたのに、時間が経つにつれ、次第に元気がなくなったり、生活習慣病になってしまったりして、会社を卒業する人も決して少なくありません。

逆に、周りからのサポートをしっかり受け、仕事のやり方、目的を十分に理解した上で取り組めば、やりがいを感じながら仕事ができ、創造性、生産性も高まります。その結果、自分のやった仕事が評価されれば、身体、精神だけでなく、社会的健康も向上し、仕事でもさらに成果を出すことができるようになるでしょう。また、健康を大切にする職場風土が形成されていれば、健康リテラシーも自ずと高まり、資産である自分の健康を守り、育むことができる従業員も増えていくことができるでしょう。

目の前の従業員の健康問題に対処することだけにとどまらず、安全で安心な働き方や、働く環境づくりも欠かせません。そのためには、管理監督者の力により、部下の働きがいを高めていくためのエンパワーメントも、とても大切です。

またこれからは、コミュニケーションの変化による新たな健康課題も見逃せないと言います。

「サザエさんに描かれている時代は、家族を中心とするコミュニティの中で、みんなが顔を突き合わせながら生活していました。それがちびまる子ちゃんの時代となり、家族だけではなく多世代型のコミュニティが形成されるようになりました。そして今は、コミュニティのかたちは、SNSに代表されるような分散化メディアに移行し、ワンセルフ型の時代になっています。つまり、現代は、一人一人が自分の見たいものだけ見て、繋がりたい人とだけ繋がる自己完結型の社会だともいえます。このことで起きているのは、孤独や孤立化という現象です。

これからの社会においては、WHOが定義しているように、肉体的・精神的な健康とともに、いかに社会的な健康を維持・向上させていくかということが大きなテーマとなります。」

「さらに、健康経営を通じて、人が資本となり、新たな価値を生み出せるようになるためには、その時、その時に起きる健康問題等への「課題」に対処すること以上に、移り変わる社会状況の変化の中で、働き手である従業員の未来をつくるための「価値創造」が一層に求められるようになります。」と樋口氏は言います。

3.これからのキーワード『生きがい』

樋口氏は、これからの健康経営は、『生きがい(IKIGAI)』も大切なキーワードだと指摘します。このIKIGAIは日本ならではの文化であり、英語では言い表しにくい言葉でもあります。

IKIGAIを、「あなたが大好きなこと(LOVE)」で、「世界が必要としていること(NEEDS)」であって「お金になること(PAID FOR)」で、「あなたが得意なこと(GOOD AT)」ができている状態。と定義する場合もあります。

樋口氏は、企業の成長と発展のためには、働く人自身のIKIGAIをも生み出す仕事(商品やサービス)を事業としてつくり、お客様に提供することが、何よりも大切だということ。

また、従業員がIKIGAIのある働き方をするためには、欧米を中心とするパーパス経営の拡がりと同様に、日本企業の文化でもある、会社の掲げる社是(会社の存在意義)が、従業員の価値観と一致していることを見直すことが重要であるとも言います。

特に、従業員の価値観については、エシカル消費という視点も大切です。エシカル消費とは、何かしらの犠牲の上に成り立つサービスを消費するのではなく、使う者の責任として、自分は勿論、社会や、地球環境が持続するために、よりよいものを積極的に選ぼうという消費活動です。

例えば、最近はオーガニックコットンが日本でも非常に多く普及してきています。これは、従来のコットンは、劣悪な環境での働く人の健康問題や、児童労働の問題等、誰かの犠牲の上で成り立つものが多かったということがあります。従来よりも価格は高くても、誰かの健康を損ねることなく、地球環境や、人や地域の発展になくてはならないものを購入するといった倫理観、価値観が、会社が従来の事業を見直すとともに、新しい事業を考える際にはとても大切な視点となってきています。

この視点は、SDGsも同じです。何よりも大切なことは、株主資本主義からステークホルダー資本主義へと社会の流れが変化する中、自分だけ、自社だけ良ければいいという姿勢ではなく、持続可能な社会の発展を開発目標とすることが、社員のIKIGAIの創造に最も早く貢献できると考えます。

このような倫理観がしっかりとしている会社は、働き手が自分自身が社会資本の一部となっていることを実感できる会社といえるかと思います。と同時に、こうした会社には人が集まりやすいと考えています。IKIGAIを実感できる会社は、従業員が「自分にとって大切な家族や友人に入社を勧められる会社である」と考えることができます。善き働き手が、率先して善き人に声をかけ、一緒に働くことができるような会社こそが、持続可能な会社と言えるのかもしれません。

このように、健康経営を推進するためには、Why(なぜやるのか?)、Who(誰が重点対象者か?)、What(なにを?)を How(どのように?)というシナリオづくりが大切で、特にWhyを経営者だけではなく、従業員が語ることができる状態を目指すことが必要だと言います。

4.ニューノーマルでの働き方改革

このコロナ禍でのデジタル化の加速により、働き手も仕事か?家庭か?といったトレードオフの関係である「ワークライフバランス」から、仕事と家庭を両立する「ワークインライフ」へと働き方が大きくシフトしてきています。

働き手が、働く場を自由に選択できるようになることで、今後は、生活する場も自由に選択できるようになります。例えば、東京の会社で働きながら、地方で、あるいは海外で暮らすというようなことが、今後は当たり前になります。こうした変化を前に、大手通信会社では、全ての従業員のワークインライフの実現を目的に単身赴任の廃止を決定したり、大手製薬では、今後の雇用の流動化を先取りすべく、副業を率先的に支援する制度を構築し、様々なスキルを身につけながら、社会資本として長く活躍できるキャリア形成を支援しています。

改めて、「人という資源を資本化し、企業が成長することで、社会の発展に寄与する」という、健康経営の深化にいたる経緯を理解することができる樋口氏の講演となりました。

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