データヘルス見本市2019 主催者セミナー:行動経済学からみた健康づくり
目次
1.人は心理的な最短距離を取りたがる傾向がある
今日は行動経済学の視点から見た健康づくりということで、行動経済学、ナッジという概念についいてお話しさせていただきます、
健康について考えたときに、その健康に関する課題は自制心に関するものが多いのではないでしょうか。自制心の意味は、一時の快楽を遅延させてより大きな目標を達成すること。例えば健康的な食事を取る、適度な運動をする、禁煙する、定期検診や予防接種、がん検診を受けるなどいろいろあります。
こういったそれぞれの課題もしくは行動に対して、皆さん、こうあるべき、こうありたいという理想のラインがあって、でも実際にはギャップがある。こうありたいという人の行動のギャップをどうやったら埋めていけるだろうかというお話をさせていただきます。
行動経済学は何かというと、人の経済活動、特にお金が関わったり価値のあるものが関わったりする活動において、人の行動特性や心の癖を科学的に研究する学問です。
私がよく言う心の癖としては、人は心理的最短距離を取りたがるということがあります。これは物理的な最短距離ではなく、心の近道です。
例えば歩行者道路があって、そこを早いスピードで自転車が通る。ちょっと危ない。どうにかしなくてはいけないということで、そこに柵を立てます。歩行者は柵を避けられるけれど、自転車は通れないので一回降りないといけない。自転車に乗っている人にとって、それは降りるという一つの障壁になります。
すると自転車は(編集部注:柵を大回りして迂回するスライドを表示)、柵を立てたことによって物理的には遠回りになるけれど、自分の心の中ではこれが最短距離だから回り道を選んでしまう。こういったことが希に起こるのです。
こういう回り道をしてしまうようなことが、健康に関する課題でも実際に起こっています。今世界のいろいろな地域で、ソーダタックスと呼ばれる、甘い炭酸飲料に対して課税する動きがあります。
これはアメリカのフィラデルフィアという市で、ソーダタックスの導入で炭酸飲料の購買がどれだけ下がったかを捉えたデータです。何が起こったかというと、フィラデルフィアでは確かに購買が下がりました。
しかし、フィラデルフィアの境の税がかっていない隣のエリアでは、大きく購買量が上がってしまいました。わざわざ市の外まで行って、税金がかからないところで安く炭酸飲料を買う人が増えたのです。
2.記入フォームの作り方で、臓器提供意思表示率に大差
こういった例をもう少し社会的な現象で見ていくと、これはヨーロッパの国々の臓器提供意思表示率の表です。デンマーク、オランダ、イギリス、ドイツという国々では非常に低い。でもオーストラリア、ベルギー、フランス、ハンガリー、ポーランド、ポルトガル、スウェーデンという国々では非常に高い。この違いは何なのでしょうか。
低い国の中の一つにオランダがあります。オランダは、低い中では比較的高い。どうして高いのかというと、オランダに住む人口のすべての家に、ぜひ臓器提供に賛同してくださいと手紙を送った結果が22%です。
まず共通しているのは、すべての国々で意志表示をするタイミングがあります。それは運転免許証を申請する時のフォームに、同意率の低い国々では臓器提供に同意するという質問項目にチェックをしないと、同意しないことになります。
何もしないと同意しない。チェックをすると同意する。今私は運転免許が欲しい。臓器提供意思については考えたくない。だから最短距離でチェックをしないという選択をするわけです。
反対に同意率の高い国々では、同じように見えて少し違います。同じフォームに臓器提供に同意しないという項目があって、チェックをすると同意しない。チェックをしないと同意することになります。
これも同じ心理的作用で、今私は運転免許が欲しい。登記提供意志については考えたくない。最短距離だとチェックしないままになる。どちらも同じ行動をとっているのに、フォームの詳細が違うだけで、社会的な行動に大きな差を生じているのです。
非常に怖いことで、こんな大事な臓器提供に対する意思決定を、実は行政のフォームを作った人たちがコントロールしているという見方もできるのです。そういうフォームを作る人は、そういったすごく細かい詳細を気にしないと、思った通りの行動を促すことができないとも言えます。
3.人は限定合理的で、心の近道を用いがち
行動経済学を簡単に説明すると、まず行動経済学の一つの概念として、人は限定合理的だということがあります。常にすべての情報を集めて、より良い価値のある選択肢を選ぶことは不可能。合理性をもって判断をすることがときどきはあるけれど、不合理ではない、限定合理的だということです。
何をするかというと、ヒューリスティックスと呼ばれる心の近道を用いることで、生活を楽にしているわけです。毎回毎回これはどちらがいいのか、臓器提供意思表示について、これはやるべきことかやるべきではないことか、いろいろな情報を集めながら意志判断するのが大変なので、みんながやっているからやろうとか、おすすめされたからこれを買おうとか、そういったヒューリスティックスに頼っているのです。
このヒューリスティックスは、必ずしも毎回自分にとって一番得する、もしくはより良い選択肢を選ぶという結果には至りません。ときどきバイアスと呼ばれる偏りの影響を受けやすくなります。
ただそういうバイアス、人がこういう場面の環境下にあると、こういうふうな行動をとるという傾向が数多くあるので、それを研究しているのが行動経済学で、体系化されたために人の行動がある程度予想通りに見える。あるいは予想通りに不合理性が見える。
ある程度予想通りの不合理性の形で行動するので、その特性を知った上で、環境の選択肢、先ほどのようなフォームの提示を仕方、環境の提示を少し変えることで人をより良い方向に促すことができると、最近言われるのが「ナッジ」という考え方です。
小手先でメッセージを変えて促すのがナッジではなく、人が意思決定をする環境を変えてより良い行動選択肢を取ることを促すのがナッジです。行動経済学がいうのは、ただただ学問として人の特性や心の癖を研究しているだけでなく、その人の行動特性や人の心の癖というものを活用することで、人をより良い選択に導くことができるというものです。
4.デフォルトのフォームの作り方で法律違反になることも
先ほどのデフォルト、例えば二つの選択肢がある場合、人はそのまま選んでしまう傾向があることを活用して、アメリカの401K(フォーワンケイ)のシステムで、このデフォルトが採用されています。
デフォルトが採用される以前は、任意で本人が加入を申し込むことで加入することができるけども、入社から48カ月たってもなかなか加入率が上がらない状態でした。
そこで、入社した時点ですでに加入しています。退会したければ申請してください、という話にしたら下がりませんでした。人はすでに選ばれている選択肢に従いやすいという傾向を活用したものです。
注意しなくてはいけないのは、人の意思決定に影響を与えることができるのが、行動経済学の強みですが、与えられるからといって与えるべきかどうかはまた別の話。倫理の問題です。
デフォルトの一つ怖い部分、思わぬ効果というのは、401Kの積立額が最初から決まっているとします。例えばあなたが入社して、10%にもう入ったことになっています。もし止めたかったら申請してくださいという仕掛けにすると、みんな10%になってしまいます。
もしデフォルトではなく、自ら加入してくださいと言っていたら、15%の人がいたとしてもデフォルトの10%になってしまう。デフォルトが、誰にとって最善で、誰にとって妥協なのか、ということを最初に考えた方がいいわけです。
もう一つのデフォルトに関しての例ですけども、アメリカのエクスプレススクリプトというオンラインの医薬品系の保険会社で、お客さんをお金のかかる新薬からジェネリック医薬品に移行させたい。
まず人の行動を変えるにはどうしたらいいか考えて、最初は情報を提供しました。手紙送ってジェネリックを使ったらこれだけお得です。理解していないからいけないのだと情報提供すると、まったく返答がありません。
いろいろな形のメッセージ送ったけど、ピクリとも動かない。こういう案はどうだろうかということで、一年間薬をタダにします。ディスカウントです。ジェネリックに変えてくれたら1年間タダになります。何%動いたと思います? 10%未満でした。
ここで考えなければいけないのは、ジェネリックに変えるとはどういうことを意味するのか。新薬がいいか、ジェネリックがいいかと比べるだけではなく、もう一つ比べなくてはいけないことがあるのです。
新薬の方は、何もしないでいい。ジェネリックの方は、手紙を返さなければいけないとい行動があります。それでは逆にしてしまえばいいのではないか。今からジェネリックに変えます。戻したかったら手紙を返してくださいという方法にしたらどうだろう。何が起きたと思いますか? 弁護士が現われました。それは違法です。
このように意志決定において、デフォルトという選択肢が取れない場合があります。この場合はどうすればいいかと言うと、ジェネリックにするか、新薬のままでいるかの行動において、取らなければいけない行動を同じにしてしまえばいいのです。
この会社は、みんなにこの手紙を返してくれないとあなたに薬を届けられません。新薬に変えたい人も、ジェネリックに変えたい人も、手紙を返してください。それでないとあなたはもう何も受け取れません。そこで改めて、ジェネリックか新薬、どちらの方がいいでしょうか。そうすると返答率は70~80%に高まりました。
ここで一つ分かったのは、ジェネリックと新薬はどっちが好きかではなく、みんな手紙を返すのが大嫌いだということです。手紙などで情報提供する場合、人に何をさせたいのか。、それがどういう行動を意味するのかを理解した上で、施策を打たないとなかなかうまくいかないということです。
5.人は環境に影響されやすい行動特性を持っている
もう一つの行動の特性として、人は非常に環境に影響されやすいということがあります。アメリカの『エコノミスト』という雑誌での話ですが、購読のチラシにオンライン媒体のみの場合は59ドル、紙のみの場合は125ドル、紙とオンラインのセットだと125ドル。どの選択肢が一番選ばれたと思いますか。
昔この実験を行ったときは、紙とオンラインを選ぶ人が非常に多く、次がオンラインのみ選ぶ人、紙のみは誰もいませんでした。そこでこの紙のみは、表示する必要はないのではないか。ウェブマーケティングなどをやっている人は、いらない選択肢を増やしても困るだけだから、その選択肢は抜いた方がいいのではということがありました。
何が起こったかと言うと、 パターンが逆になったのです。紙のみという選択肢を抜いたところ、 今度はオンラインのみが一番多くなりました。これはビジネス的に考えると非常な損益になる。高い方が売れなくなるからです。
人がどれを好むかというのは、どういう選択肢をどういうふうに提供したかということにより変ってきます。例えば選択肢の提示の仕方を変えることで、健康的な食事をとらせるとか、健康的な飲料を選ばせるのにどうしたらいいか、ということを実験した研究もあります。
病院のカフェテリアで、体に良くない飲み物を選んでしまう人が非常に多かったので、これをどうにか変えたいということで実験を行いました。ランチに行くとき人はどのタイミングで飲料を選ぶかというと、結構最後の方で選ぶ。しかし、レジの近くに置いてあったのが炭酸飲料でした。
だから炭酸飲料を選ぶのではないかという仮説の基に、配置を換えてレジからすぐ手に取れる場所に水を置いたところ、炭酸飲料の売り上げが下がって水の割合が高まりました。当たり前のことのように思うかもしれませんが、どういうふうな環境下で意志決定するか、きちっと理解した上で環境を作り上げることで人をより良い方向に促すことができるわけです。
6.人の心の癖を利用してより良い行動を促す
一つの行動の特性というか、心の癖についてご紹介いたします。例えば1年後に1万円もらえます。1年1週間後に1万100円もらえます。みなさんどちらを選びますかというと、傾向として1年1週間後の1万100円を選ぶ人が多くなります。
今度は今すぐ1万円もらえます。1週間後に1万100円もらえます。どちらを選びますかというと、反対に今すぐの1万円を選ぶ人が多くなります。
なぜこういうことが起こるのかと言うと、現在バイアスというのですが、人は今すぐ起こることに関して非常に高い価値を感じ、自分から時間が離れていけばいくほど、時間割引という言い方もしますが、価値が下がっていく。そういう傾向があります。
このデータからもう一つ言えることは、将来の価値判断というのは意外と合理的にできるということです。今から1年後のことだと、100円でも多い合理的な判断をして、より価値の高い方を選ぼうとする傾向があります。
この特性を利用して行動を促すのが、ナッジで言うコミットメント。簡単な例えとして目覚まし時計があります。朝なかなか起きることができない。スヌーズボタンを何度も押して寝坊してしまう人に、このコミットメントを利用します。
朝起きた瞬間は、今起きることに価値を感じられないけれど、前日の夜は明日大事なミーティングがあるので遅刻できない、という合理的な判断をすることができます。そこで、次の朝に目覚まし時計で目が覚めた時にスヌーズボタンを押してしまったら、自分の銀行口座からある程度のお金が、自分の嫌いな団体に寄付されてしまう。そんなプログラムにしたらどうでしょう。これがコミットメント。将来やるべき行動をやらなかった自分に対して罰を課すということがナッジです。
例えばこれを禁煙に利用できないか。今から頑張って禁煙してください。6カ月後に尿検査でニコチンレベルを測って、タバコを吸ってないかどうかを調べます。さらにその6カ月後にサプライズで検査をしますよ。
毎週、自分がタバコに使っていた金額を銀行口座に入金します。このプログラムが終了するまで銀行口座からお金を取り出せません。もしタバコの尿検査に引っかかったら、そのお金は没収です、そういう啓発プログラムを作りました。
すると通常の禁煙プログラムよりも、高い禁煙率になりました。将来の意思決定は合理的にできるという特性を利用して、前もって自分に約束させるのがコミットメントです。
7.どうずれば人の行動変容を促せるのか
行動経済学を活用して、何をしたら人の行動を変容させることができるのでしょうか。まずその人に取らせたい行動は何か。臓器提供の意思表示であれば、大本に臓器提供への同意という行動があるのだけれど、そこに至るまでに細かなステップを踏む必要があります。
手紙が届いた時に手紙を開けてくれる。手紙に何が書いてあるか、ちゃんと読んでくれる。読んだフォームの中にあるチェックマークにチェックしてくれる。このような細いコードのステップがあります。それぞれのステップにおいて、選択肢がどういうふうに表示されているのか、どういう詳細が人をより良い方向に促すか、もしくは促せてないのか、ということを一つ一つ理解する必要があります。
人の行動の特性や心の癖というのを推定して、なぜ人がこういう状況下で、思った通りの行動ができないのか。それを理解した上で、どのようにその特性を活用すれば、人を良い方向に促せるのか、実験によって検証してエビデンスを作っていく。
最後にちょっとした事例をご紹介したいと思います。データヘルスの中で当たり前になっていることに見える化があります。IoTを利用したいろいろなウェアラブルデバイスが登場して、体重、血圧その他いろいろなデータを見せていくと、それがヘルスリテラシーになって人の行動が変わるという考え方です。
必ずしもそうはならないという例があります。その一つが体重です。毎朝体重計にのると、それ自体が意識になって今日一日運動しようとか、食べ物を制限しようとか、行動変容を促すと考えられています。
ところが、体重計に毎日のるのは難しい面があります。体重は一日の中でも上がったり下がったり変動します。ある時のると500グラム上がった、その日のうちにまたのると500グラム下がった。
何が起こるのかというと、500グラム下がると喜ぶ。500グラム増えると苦しむ。500グラム減った時の喜びと500グラム増えた時の苦労を比べると、同じようでも人は苦労した方が2倍大きく感じやすい傾向があります。
大して変わってないのに体重が増える度に苦しみを2倍感じて、苦しみばかりが増えて体重計になかなかのれない。今の体重計は正確すぎるのです。グラム単位で教えてくれます。
また、例えば運動してその日の夜にのっても、必ず体重が減っているとは限りませんし、昨日食べすぎたなと思っても、増えているとは限りません。行った行動とフィードバックのバランスが非常に悪いわけです。
そこでスタートアップ企業と、シェーパという目盛りのない体重計を共同開発しました。シェーパは目盛りがないので正確な体重を教えてくれません。正確な数字が人を一喜一憂させて苦しみが積もってしまうから、そういうことをしない体重計です。
シェーパが何をするかと言うと、アプリと連動して頑張っているか、頑張ってないかを5段階評価で教えてくれます。今日はこういう目標を立ててこういうことをやりましょうとフィードバックします。
コールセンターの人たちに協力してもらって、普通の体重計を配った人とシェーパを配って行った人の体重を5カ月間比べたら、普通の体重計を配った方は0.3%の体重増だったのに対し、シェーパを配った方は0.6%の体重減になった事実があります。
普段見える化が大事と言われていますが、見える化がどういうことを意味するのか、行動経済学的に捉えた上でシステムをデザインすることで、より良い選択をしてもらえるように促せるのではないかと思います。