ヘルスケアIT セミナー12選⑩:- マーケティングと行動経済学を活用 – 無関心層をも巻き込み、運動量を増やす仕掛け作り

1.地域レベルで運動実施率を高めることに成功した雲南市

「健康のためには適度が運動が欠かせない」ということは、誰ものが知るところ。常識になっていると言ってもいいでしょう。テレビでも健康に関する番組が毎日のように流され、健康ブームともいえる昨今の風潮の中、たくさんの人が日々の食事に気を使い、ウォーキングをはじめとした運動をおこない、健康維持や増進に取り組んでいます。

その一方、運動にまったく関心を持たない層が数多くいるのも事実。では、健康にあまり関心のない人も巻き込みながら、日々の運動量を高め、健康に結びつけるためにはどうすればいいでしょうか。「世界から運動不足をなくす」ことをミッションに掲げ、からだを動かすこと(身体活動)と健康の関係について、予防・教育・政策の観点から研究している東京大学の大学院医学系研究科の鎌田真光先生が、その方法論や実例を紹介してくれました。

最初に紹介してくれたのは、自らも深く関わってきた島根県雲南市における運動普及プログラム(通称:運動キャンペーン研究)です。

慢性的な運動不足は、生活習慣病を引き起こす要因の一つであることはよく知られています。そのため、運動実施率や人々の身体活動量を国や地域レベルで高めることは、健康政策上の重要な課題となっていると鎌田先生は言います。とは言うものの、これまでは国や地域レベルで人々の運動量を増やしていくための研究はあまりなされておらず、あったとして短期間のものに過ぎず、実際に運動実施率を高めることに成功したという事例報告はありませんでした。

そんな中、2009年から鎌田先生らが中心となり取り組んできたのが、島根県雲南市における運動普及プログラム。5年間に渡り、ウォーキングをおこなうグループ、体操をおこなうグループ、その二つを同時におこなうグループにわけて普及に努め、身体活動量(運動実施率)がどのように変化していったかといったデータもしっかりとりながら、プログラムを推進していきました。

その結果、5年間で中高年における運動実施率が高められ、画期的で質の高い研究成果を得ることに成功。世界で初めて「地域レベルで運動実施率を高めることは可能である」ということを実証しました。このプログラムにおける研究の成果は、他の地域でも十分に活用できる普及戦略の鍵(方法論)を多く含んでいると鎌田先生は言います。

2.ターゲットの気持ちを読み解き、情感に訴える

では、鎌田先生らのチームは、どのようにして地域住民のみなさんにアプローチし、どのような方法で中高年の運動実施率を高めいくことに成功したのでしょうか。

キーワードの一つとなったのが「ソーシャル・マーケティング」。ソーシャル・マーケティングとは、1971年にフィリップ・コトラーによって提唱されたもので、ビジネスの世界ではよく使われる手法です。一般的にマーケティングでは、「○○という製品をいかに消費者に購入してもらうか」「○○という行動をいかに対象者に採用してもらうか」といったことに主眼に置かれますが、特にソーシャル・マーケティングでは、ある社会的な主張を訴えることにより共感を得ようとするマーケティング活動のことを指します。

マーケティングにおいて最初にやるべきことは、対象となる人たちのニーズやウォンツを明確にしていくこと。雲南市における運動普及プログラムでも、まずは住民一人一人が持つ運動に対するイメージや生活全般におけるニーズ・ウォンツを把握することに努めました。例えば、「なぜ、日々身体を動かす必要があるのか」と運動の目的を高齢者の方に尋ねると、「運動をすることで身体が元気になる。そうなれば家族にも迷惑をかけなくてもすむ」などと答える方が多くいることがわかりました。このように、ターゲットの率直な気持ちを理解していくことにまず取り組んだわけです。

次にやるべきこととしては、対象者に情報やメッセージをしっかり伝えていくこと。雲南市における運動普及プログラムでも、対象となる人たちの気持ちをしっかり読み解いた上で、その人たちの心に響くメッセージを考え、届けていきました。

例えば、この運動普及プログラムを地域のみなさんに知ってもらうために使ったチラシなどには、「5分だけでもウォーキングです」というキャッチコピーで運動することへのハードルを下げるたり、地域の人に登場してもらって、「それくらいなら私も歩いちょうよ。」と語りかけるように方言を添えたりすることで、親近感のあるメッセージや情報を伝え、啓蒙活動や意識改革に取り組んでいったのです。

そして、情報を広める上で重視したのが口コミ戦略。つまり、人から人に情報を伝えていくことです。まずその地域の中で影響力のある人を見つけ、その人の心に火をつけることで、回りの人たちに広げていきました。地域の中で影響力のある人とは、今の流行の言葉で言えばインフルエンサー(※)ということになります。このインフルエンサーとなり得る人は、人に対する説得力のあるセールスマンタイプ、豊富な知識を持っているタイプ、コミュニケーションの得意なタイプだそうです。

(※)SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログなどインターネットを通じて、世間に大きな影響を与える人。特に人々の消費行動に強い影響を与える人物のこと。

3.プログラムの成功を支えたしっかりとしたロジック

雲南市における運動普及プログラムが成功した理由として、しっかりとしたロジック(論理)や方法論があったことが挙げられます。これまで国内外で実施されてきた地域全体レベルでの運動普及活動や研究において、実際に住民の運動実施率を高められずにいた大きな要因に、効果的な方法論がわかっていなかったということがあります。その反省も踏まえながら、雲南市のプログラムではしっかりとしたロジックのもと実施し、結果をしっかりと評価・検証しながらプログラムを押し進めていきました。

例えば、先ほどのソーシャル・マーケティングだけでなく、SWOT分析(※1)を使い、自分たちの強みやリソースを活かしながらプログラムを進め、PDCA(※2)を回していくことで改善していったのです。特徴的なことで言えば、「ゆ・か・い」と呼ばれるロジックや検証方法を導入したこと。

「ゆ・か・い」とは、
ゆ=有効性(住民がより活動的になったなどの評価項目を数値で明確化し、その結果、有効性が見られた)
か=数(住民の79%がキャンペーンを認知した)
い=維持(研究後もグループ活動が100%継続された)
といったもの。

これらのロジックを使い、その有効性や認知度、継続性をしっかりとデータとして残し、検証することで成果を上げることができたのです。さらに、この普及プログラムを実施してから7年後には、膝痛の人の割合が減ったという結果も得られ、雲南市における運動普及プログラムは、満点とも言える評価を得ることができています。

このような運動普及プログラムを成功させることができた背景として見逃すことができないのが、プログラムを推進するための基盤がしっかりとあったこと。雲南市の場合、市役所の健康福祉部内に研究所(本部)を置くとともに、複数の自主的な集まりが公民館などで活動をおこないました。

そして、専門家の存在。雲南市では鎌田氏らが中心になったように、普及のためには専門家(マーケティングや行動科学など)の育成と的確な配置が欠かません。アメリカでは、すでにそういった専門家の認定制度もあるそうです。

(※1)自身の強みと弱み、機会、脅威を認識・分析し、戦略を立てるためのフレームワーク。
(※2)Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action (改善)を繰り返すことで業務を継続的に改善すること。

4.巨大な潜在市場を持つライフハック・フィットネス

雲南市における地域レベルでの取り組みに続き、鎌田先生が紹介してくれたのが、企業による運動実施率を高めるための事例です。

鎌田先生はまずこう問いかけます。「企業における健康への取り組みと聞くと、社員の健康ということがすぐに頭に浮かびますが、果たしてそれだけでしょうか」と。企業における健康推進では、社員だけでなく、顧客、地域環境、地域住民の健康にも関わってくるものであると鎌田先生は指摘します。

例えば、「自動車会社の顧客は誰ですか?」と聞かれた場合、多くの人は、自動車を使う人、つまりドライバーであったり、その車に同乗する人と答えることでしょう。ですが、自動車の出す排気ガスなどによる大気汚染によって、顧客以外の周辺の人の健康を害することもあるわけです。また、今のように自動車が社会に広く普及する前と後では、生活の中での運動量にも自ずと変化が出ています。

つまり、生活の中で自動車を使うことによって運動不足となり、病気を引き起こす要因になっているといったことです。特に日本はこの20年、交通網も発達し、生活がより便利になり、国民の平均歩数が下がりっぱなしだと言います。ここにメスを入れていくという新しい視点が企業の取り組みでも必要だと鎌田先生は指摘します。

人々の運動実施率、運動量を高めるためのビジネスとしては、フィットネス・ジムなどが真っ先に思い浮かぶことでしょう。様々なタイプのフィットネス・ジムがありますし、1回30分で気軽に体操できるカーブスなども、中高年女性に人気を呼んでいます。とはいえ、現在のフィットネス・ビジネスは、顧客にジムに来て運動してもらうというものが中心になっています。ジムに行かなくても、生活の中で運動量を増やしていくための工夫をもっとする必要があるのではないかと鎌田先生は言います。

例えば、最近注目が集まっているのが、ライフハック・フィットネス。ライフハックとは、仕事や人生のクオリティを高めるための工夫を指します。いわば、仕事術、生活術といったもの。これを運動に当てはめたものが、ライフハック・フィットネスということです。例えば、自転車のシェアリングは良く知られ、大手コンビニエンスストアが参入するなど、広く普及してきています。

勤務中の運動も注目が高まっています。オフィスワークでずっと座ったままで仕事をすると、血流の流れが悪くなり、健康に悪影響が出てきます。そこで、上下の高さを調整でき、必要に応じて立ったり、座ったりすることができる昇降デスクを導入し、社員の健康をサポートする企業も出てきています。

さらには、1日平均8000歩以上歩くと保険料の一部が戻ってくる「あるく保険」等の健康行動割引保険商品や余暇農業支援なども含め、このライフラック・フィットネスには、巨大な潜在市場があると言われています。

5.ポケモンGOが変えたもの

国内外で一大ブームとなり、社会現象を巻き起こした「ポケモンGO」。言うまでなく、「ポケモンGO」は、ポケモンを捕まえたり、交換したり、バトルを楽しむゲーム。プレイヤーは室内だけでなく、外に出てポケモンを捕まえに行きます。

この「ポケモンGO」は、運動実施の面から見ても、画期的なものになったと鎌田先生は指摘します。というのも、それまで家の中でゲームに熱中していた人たちも、ポケモンを捕まえるために街中や公園などを歩き回ることで、自然と運度量を増やしていったからです。「ポケモンGO」が、健康無関心層のやる気スイッチを入れたことに注目すべきだと鎌田先生は言うのです。

れに似た取り組みとしては、キングレコードとNTTデータが、アニメ好きの人をターゲットにし、アニソン(アニメソング)を聴きながら運動できる「アニソンフィットネス」という実証実験をおこなっています。

また、歩くことで好きな球団を応援できる「パ・リーグウォーク」も話題になっています。これは無料のスマホアプリを使い、自分の歩数を計るだけでなく、それぞれのチームのファン同士が歩数を競うといったこともできます。「野球の試合では負けたが、こっちの競争では勝ったぞ!」などファン同士が交流しながら盛り上がることができますし、さらに1日1万歩を達成したら選手画像をもらえるなど、歩くことへのモチベーションを高める機能がついており、たくさんのダウンロードがなされています。

このように自治体などが取り組んできた「健康のために運動しましょう」といった従来型のアプローチでは動かなかった層が、別のアプローチ、仕掛けによって運動をするようになるケースが見られるようになっています。健康無関心層のやる気スッチがどこにあるか。何にハマるかを考えることが重要であり、無関心層に当てはまるものは無数にあると鎌田先生は言います。

例えば、20代ならアイドル、50代男性ならプロ野球、60代女性なら韓流スター、70代男性なら川柳というふうにターゲット層に対して、ハマる仕掛けをしていく。ハマってくれるのは何か、やる気スイッチが入るのは何かということを、インタビューなどを通じ地道に探していくことが、運動実施率を高める方策を考える上で欠かせないと鎌田先生は言います。

「運動に対する無関心層の心に響くものを探し、しっかりとしたロジックに基づきながら、マーケティング手法を駆使。気がつけば運動していたという仕掛け作りをしていくことが、今後さらに求められていくでしょう」という鎌田先生の言葉でセミナーは終了となりました。

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